センスとは膨大な知識と何万回の試行から生まれるものである

友人の写真家と半日ご一緒することができた。
彼女の写真は見る人を引き付ける。
センスがある彼女と、絶大なセンスを誇る水野学さんが、自身の著書でおっしゃっていることとが同じだったのでびっくりした。
でっ、このブログを書いてみようと思ったのだ。
 
 

情熱の写真家のセンスは何万回シャッターを押すことから作られた

まずは、きょうこちゃんのブログを見てほしい。
明暗のコントラストと、色味の激しさに目を引き付けられることだろう。
https://kiyohksduki.com
彼女はセンスがると思っている。
では、生まれながらいセンスがあったのだろうか?
彼女に聞いてみた。
「センスなんて最初からあるものじゃないよ。何万回もシャッターを押してるから、撮りたい画がわかるだけ。」
「好きだから、何万回試行しても苦痛には感じない。好きだから飽きないんだよね。才能ってあるとするなら、飽きないことかも。」
深い言葉だ。
彼女は、私より随分若いが、人間ができていると思う。
 
 

センスとは知識の集積である

センスは持って生まれるものではないと言うのは、センスの塊のように思われているグッドデザインカンパニーのクリエイティブディレクター水野学さんだ。
水野さんの著書、「センスは知識からはじまる」でも、生まれながらに持っているのものではなく、知識を積み重ねて磨き上げるものだと書いてある。
水野さんがくまモンを生み出したいきさつは有名だ。
くまモンのデザインがいかなる膨大な試行によって生まれたかという話だ。
くまモンは、少しづつサイズを変えたデザインを無数に作り、その中からバランスのいいくまモンが選ばれているのだ。
本当に微妙なサイズの違い。
目の大きさが少しだけ大きいものや小さいもの。
耳の位置が少し違うもの。
黒目だけ幾通りもサイズを変えてみたものを、すべて書いてみたのだ。
そして、これだと思われるくまモンが選び出された。
つまり、精子と同じかもしれない。
精子は、親のコピーだ。
親の遺伝子とほとんど変わらない、ほぼ同一の遺伝情報を持った遺伝子が競争するのだ。
本当であれば、どの精子たどり着いても同じ人が生まれてきてもおかしくない。
しかし、自然は遺伝子以外の別の要素でも競争させているわけだ。
 

センスがないと自分を決めつけている人は、挑戦する言い訳を見つけた人

世の中の大半の人が、私にはセンスがないからと、色々なことをあきらめていないだろうか。
私の場合音楽だった。
音楽の才能が無いと決めつけていた。
しかし、本当に無かったのだろうか。
挑戦したこともないのに、センスがあるかなんてわからない。
センスが無いとあきらめることの多い人は、センスがないわけでない。
挑戦することが怖いとか、面倒だとかで、挑戦しない言い訳をセンスにしただけだ。
続けてきた事。
練習が大変でつらい。
だから、センスがないからと、やめる言い訳をセンスにしただけだ。
やらない言い訳を考えられるとか、やめる大義名分にするぐらいなら、それほど好きなことではなかったのだろう。
センスがあっても、天才でも、好きでなければ大成はしない。
だから、ある意味センスが無かったといえるかもしれない。
 

センスは後からついてくる!古い教育や躾を忘れて挑戦してみよう

センスは、大量にインプットした知識と、何万回の試行の結果。
だとしたら、何もあきらめる必要はない。
好きだと思ったことは、センスは兎も角、続ける能力がある。
どんな業界の人たちも言う。
「この商売にセンスなんていらない。何万回練習するだけだ。」
「この仕事にセンスはいらないよ。何万回と作ればわかる時が来る」
これ、本当に多くの業界で言われていること。
だから、日本の教育なんて否定して、親の言いつけを破って、やりたい事をやればいい!
好きなこと、やりたい事をやる。
これがセンスで、これでセンスが作られるのだと思う。

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