楽しい議論をしよう!子供時代に父と議論したことを思い出した件

私の好物は議論です。
人と話すのが大好きですが、中でも議論するの好きです。
笑い話に茶化すのではなく、まじめに真剣に議論するのが一番面白いのです。
 

頑固で自分の意見を曲げない父との議論は楽しいものじゃなかった

父とは幼いころから議論をしました。
特に、議論のネタになるのは政治。
ほとんど家に居ない父と議論するのは決まって日曜日。
子供がアニメを見たい時間帯に、テレビを占領してニュース番組を見ます。
考えてみれば、昔はテレビは1台しかなく、1台のテレビを見ながらいろいろ話をする時間があったと思います。
占領して見ているニュースで意見を言い出すのです。
そんな政治や経済のニュースが嫌いではなかった私は、知らぬ間に身に着けた知識で、父と議論を始めるわけです。
と言っても、私の父は経済系の仕事をしているわけでもなく、高学歴なわけでもありません。
だから、議論といってもたわいのないことです。
しかも、父は自分の意見を曲げません。
相手が子供であっても容赦なく潰しにかかります。
さらに、自分が不利になると怒り出し、拗ねます。
子供みたいな性格なのです。
しかも、父は意外と弁が立って、口喧嘩が強い人です。
おそらく、街で喧嘩しても口だけで勝つタイプ。
まっ、私もその血を引いているのですがw
父が得意な戦法はすり替えです。
いつの間にか話題がすり替えられて、絶対に正しい事をこちらが否定する立場で参戦してしまっているから不思議です。
うまくすり替え誘導して、最初の論点はどこかへ行ってしまいます。
楽しい議論

父との議論は社会に出てから役に立った

父との議論は苦痛を感じることも多かったのです。
父親といえば、幼い子供にとっては権威の象徴。
中高生にとっては威厳の象徴と言ってもいいでしょう。
この時に、議論しない道をたどっていれば、私は誰にも逆らえない、特に目上に人には逆らえない人間になっていたと思います。
自分が正しいと思いながら相手に言えない人。
そんな人にならない訣別の道は父との討論の中で培われたものだと思います。
逆に、誰に対しても正しいと思ったことは言う性格は、会社という組織で生きにくいと思われる向きも多いかもしれませんが、結構口だけで今も生きています。
実践でも父との討論は役立ちました。
私が労働組合の委員長をしていたころの我が社の社長は弁の立つ人でした。
すり替えの名人という点は私の父と共通点があります。
社長は能力も高いので、なかなか対等に話をするのが大変でした。
しかし、すり替えはうちの父の十八番。
すり替え対策は万全です。
父のおかげで一度もすり替えに惑わされることなく、労使交渉を行うことができたと感じています。
楽しい議論

楽しい議論、実りのある議論とはどんな議論なのか?

父との議論は役には立ったと思いますが、楽しい議論でもなかったし、実りのある議論でもありませんでした。
では、楽しい議論とはどんな議論でしょう。
楽しい議論は、自分が好きなことをワイワイ話す・・・わけではなく、自分の主張を通すために戦いながらも、どんどん新しい可能性を見つけていく議論です。
様々な議論をしていると、対立している意見に利を認めるときがあります。
自分の意見も間違っていないけど、一部ここは正しいなって認めるときです。
ただ、それを認めてしまうと、自分の意見が間違っていると認めてしまわないといけなくなりかねない。
そんな状況になると脳はいろいろな可能性を考え始めるのだと思います。
短時間で、無数に。
すると、折衷案と言うのにはかけ離れている新案が思いつくことがあるのです。
この新案が、実に的を得ていることが多くて驚くのです。
そんな時、議論の相手も同じ案にたどり着くことがしばしばあります。
この時の快感といったらありません。
知的快感は他のどの様な快感にも勝っていると感じます。
そんな時頭に浮かぶ新案は、実用性もあるから不思議です。
楽しくて、快感を伴い、実用的な新案が思いつく。
これが私の考える楽しい議論なのです。
 

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