琴弾神社財田川のたもとの鳥居から381段の石段を登る

琴弾八幡宮は、八幡神として応神天皇・神功皇后・玉依姫命を祀る神社。
建立は古いようです。
Wikipadiaには

社伝では、大宝3年(703年)3月、琴弾山で修行していた日証上人が八幡大菩薩の乗った船が近くに漂着したのを見つけ、里人とともに船を山頂に運び祀ったのに始まると伝える。そのとき、船の中から琴の音がしていたことから「琴弾」の社名がある。同時に当社の神宮寺として、後に第69番札所観音寺となる神宮寺を建立した。
大同2年(807年)、四国を行脚中の空海が当社に参拝し、琴弾八幡の本地仏である阿弥陀如来の像を描いて本尊とし、琴弾山神恵院(じんねいん)として第68番札所に定めたという。
中世には源氏の崇敬を受けた。源頼義は前九年の役に前に使いを立てて願文を納め、その子の義家は社殿を造営し、神馬を奉納した。義経は屋島の戦いの後に平家追討を祈願して馬と鳥居を奉納し、頼朝は1千貫文の土地を寄進した。
明治の神仏分離により、本地・阿弥陀如来像は観音寺境内の西金堂に移され、琴弾神社と神恵院に分離された。第二次大戦後、琴弾八幡宮と復称した。

とあります。

琴弾八幡宮へ至る階段は381段

財田川のたもとの鳥居から381段の石段を登らないと琴弾八幡宮にはたどり着きません。
 

これは、川の近くにある大鳥居なのですが、こちらが琴弾八幡宮の入り口ではありません。
こちらは、琴弾八幡宮神幸殿へ至る鳥居。

琴弾八幡宮神幸殿


様々な祭事をおこなっているのが琴弾八幡宮神幸殿の様です。
慰霊碑もあるんですが、調べ不足でよくわかっていません。
調べて追記しようと思っています。

 

381段の石段を登った先に琴弾八幡宮

財田川のたもとの鳥居から381段の石段を登るとさらに鳥居があります。

ここを登りきると琴弾八幡宮です。

琴弾八幡宮からの眺めは最高です。
 

位置関係は分かりませんが、この鳥居は上がってきた階段と違う方向を向いています。
この鳥居が何処に向いているのかは気になるところです。
この階段は切れていて、左に曲がると麓へ降りる階段があるのです。

卑弥呼の時代四国は畿内と戦争状態だった

邪馬台国がどこにあったか論争は尽きません。
ただ、畿内説が有力になる発掘が先ほどなされたと聞きました。
邪馬台国の女王卑弥呼は、実は天照大御神のことだと言う学者さんもいて面白いです。
卑弥呼の字は、中国人の当て字。
魏志倭人伝にを執筆するとき音で当てたとか。
ちょっと、一国の女王なのになんでこの字って思いましたよね確かに。
実際には日の巫女、日巫女と書いたのではないかと考えられるそうです。
あるいは、日ノ御子。
日御子です。
御子となると、皇族方をいう言葉となり、日の御子と言えば天照大御神のことではないかというのです。
天照大御神も女性である事も共通点があると言います。
さて、その卑弥呼の時代、勢力を振るっていたのが四国にあった国だったと言われているそうです。
ちょうど、観音寺市などの辺りに有力な勢力があって、畿内と戦争状態だったそうです。
 

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