人間観の覚醒 芳村思風先生言う新しい生き方は尖った所で生きる社会に近いのではと感じた 【書評】

人間観の覚醒の中の芳村思風先生の考える21世紀の人間の生き方が、私が目指す人の生き方と近い。

私が目指す、人の尖ったところで生きていける社会に、芳村思風先生の考えも同じではないかと感じている。

私は今、LPL=ラビングプレゼンスリーダーシップを受講しています。

LPLの師匠である岡部明美さんは、芳村思風先生と長く共にワークショップなどを手掛けてきた人です。

そんな芳村思風先生が自分に近しい考えを持っているかもしれない。

その事を感じるだけで勇気が湧いて来ます。

人間観の覚醒 芳村思風先生言う新しい生き方は尖った所で生きる社会に近いのではと感じた 【書評】

人間観の覚醒を読むと勇気がもらえる。

自分の考えている事が、芳村思風先生に肯定された感じがするのです。

何度も読んで深めていかなければならないのですが、最初に読んだ感想です。

特に、自分と共感あると思われる所をピックアップして書評を書いてみました。

 

勝つことから力を合わせることへ

芳村思風先生も、人間性の進化として、

勝つ事よりも力を合わせることに人間としての喜びと価値を感じる感性を持つ

と書かれています。

人間の本質と私も感じています。

人間は本質として、大勢の人と一体になる事に喜びを感じる生き物だと思っています。

例えば、国際大会での自国の応援。

一体になる事に高揚感を感じるに違いありません。

どんなに冷めて見ていたとしても、その場に居合わせると、一体になる事に高揚する。

これは、群れなす動物である人間に刻まれた本能だと思うのです。

 

ところが、今までの社会では競争原理を前面に押し出して成果を追求してきました。

しかし、競争原理が本当に成果を出すのかという事を具体的に実験したわけではないのです。

競争原理で成果を出しているのではないかな?って思って社会を運営しているだけなのです。

最近、競争原理を廃止する勇気のある企業が出てきました。

全ての社員の給料を一律にしたのです。

すると、この会社の業績は好転し、素晴らしい成長をしています。

実際に、競争原理でなければ業績は伸びないと言う幻想を崩した企業です。

多くの人が、他の人と力を合わせて事をなすことに喜びを感じています。

もともと人間は群れをなす動物です。

共に生きることに喜びを感じる生き物です。

だから、競争社会ではなく協調社会が人間の喜びの即した社会と言えると思います。

個性を認め違いを認めお互いに活かしあう社会へ

尖ったところで生きる事の出来る社会。

私の夢です。

人が、自分の尖ったところを削って、社会に合わせて生きるのではなく、

自分の尖ったところを活かし、ジグソーパズルの様に、個性の形を社会にはめ込めるような生き方ができる社会。

それが私の目指している社会です。

現在の日本は、平均主義の教育を行っています。

なんでも60点を取らないと落第者としての烙印を押されてしまいます。

その為に、自分の尖ったところ、100点を超えていける能力のある所の成長を後回しにして、20点とか30点の強化に回します。

自分の得意なところを伸ばすのと、自分の不得意なところを伸ばすのとでは、どちらが”らく”で楽しいか。

もちろん、得意なところを伸ばす事だと思います。

それに、社会に役に立つためには、得意なところ100点を超えていけるところを極めた方が良いわけです。

しかし、現実はまったく逆を要求しています。

社会に出て、会社員になろうものなら、尖ったところは社風に合わないとか、そんな突拍子もない事は危険だと言われて、平均まで削られてしまいます。

尖ったところを削る作業は、苦痛を伴います。

もうそんな苦痛を味わう社会は辞めたい。

尖ったところを伸ばし、劣っている所は、そこが得意ない人に肩代わりしてもらう社会。

お互いに尖ったところを持ち合って、そのグループの力を100点を超えていけるグループにして生きれる。

そんな社会を作りたいのです。

芳村思風先生も同じように考えているのではないかと人間観の覚醒を読んでいて感じたのです。

芳村思風先生も同じように考えているかもしれない。

これは、私にとって大きなことです。

自分は間違っていないと勇気を持たせてもらえる本なのです。

徹底的に利己主義になりそれを認めれば他者を認める事になる

私の考えの中に、徹底的に利己主義になれと言うものがあるのです。

徹底的に利己主義になると、他者に優しくならざるを得ないと私は考えています。

例えば、利己として、自分の大切なものを守りたいと考える。

徹底的に考えると、周りの全ての人に自分と同じように守りたい人が居るのだという事に気づきます。

”自分が”感じている事は、他の人も感じている。

徹底的に自分が嫌だと思う事を考えて、相手もそれを嫌なのだと考えると、自ずと嫌な事をしなくなると思うわけです。

芳村思風先生も、

「自分には我がある」ということを認めれば、そこに人間的な心である謙虚さが生まれます。

それが人間らしい心です。

我があるということを認めた上で、この我を小さな我(小我)から大きな我(大我)へと成長させようとすることから人間は成長できるのです。

と書いておられます。

ちょっとうぬぼれて書くなら、芳村思風先生は私と同じ事を考えられているのではないかと感じるのです。

自分は他人の事を考えている、自分は聖者であるかの様に考えるのではなく、

自分は利己主義者で、自分の事を考えていると思い、突き詰めていくと他の人の利益、他の人の欲求も認める事ができる様になるのではないかと思うのです。

ずっと考えてきた、利己主義を極めるという考え方を、芳村思風先生も同じように考えているのではないかと感じると、勇気が湧いてきます。

自分の信じた道を進む勇気をもらえる本になりました。

 

お父さんの感想

先日、LPLの懇親会、夜PLで前に出て語らせていただく機会を得ました。

その時、私は自分のライトワークである、

「尖った所で生きられる社会」

の実現が、LPLから始めると思っている事を伝えました。

しかし、その時はまだ芳村思風先生の本を読んでいませんでした。

人間観の覚醒を読んでみると、岡部明美さんの前でなんと大それた事をぶち上げたんだろう思いました。

ただしかし、それと同時に、「尖った所で生きられる社会」「誰もが自分の得意で生きられる社会」「誰もがあるがまま生きられる社会」を実現するべく、残りの人生を使わないとと使命感も出てきました。

私にはそれほど大きな力はないでしょう。

だから、少しでも多くの人に、個性を活かした社会の良さをわかってもらうために語っていくしかないと思っています。

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