丹波に大学を作る!横田親氏の新たな挑戦が超絶面白い

丹波市に大学を作る。

個人の人間が大学を作ろうと夢見る事は荒唐無稽の事に感じる。

しかし、行動力の男、横田氏は大学を本気で作ろうとしている。

本気で考えると、あながち不可能でなくなっていく。

不可能で無いかもって思えばあとはやるだけ!

エニアグラムタイプ7の真髄を行く横田氏の挑戦が面白い。

丹波に大学を作る!横田親氏の新たな挑戦が超絶面白い

丹波に大学を作る。

いや、将来的には幼稚園から小中高と全ての学校を丹波市に作りたい。

少子化で、特に田舎では廃校が増えている中、どうして学校を作ろうとしているのか?

なぜ大学を作りたいのかを横田氏が語るのを聞いてきた。

田舎に大学なんてできない、ができちゃったら面白い!

横田氏いわく

「閉鎖的な田舎の人たちは、田舎では何もできないと思っている。」

「だから、大学作って、ほら大学だって出来ちゃったでしょ!って示したい。」

田舎であっても、やろうと思えばなんだってできる。

何だって出来る事を示していけば、みんなが何だってできるんじゃない?って思えてくる。

出来るんじゃないかと思う事。

それが大切だと横田氏は言う。

「まず、大人が閉塞的な環境で意識を変えれば、若者が変わっていく。」

「大学なんてできちゃったら、あれ、会社だって出来るんじゃない?って起業する人も増える。」

確かにそうだ。

横田氏が丹波市に移住して以来、丹波市は若者の移住者が激増している。

この若者の移住者の数は全国的にも注目されている。

日本の学校教育が面白くない

日本の学校教育は面白くない。

それは多くの人が思っている事。

国から押し付けられる学習内容。

自分の興味のない事を永遠にこなせる能力なんていらない。

興味を持って、面白いと思ってやっていくと、学びは常に発生する。

誰かに与えてもらった学習ではなく、自分が知りたいと思う知識欲での学び。

そっちの方が面白いに違いない。

教科書の中でふと気になった内容があった。

それを少し考えて「?」が頭の中で点灯!

その「?」について考えていたら授業は先に進んでいた。

そんな授業って面白いわけがない。

まったく学びが無い。

日本の学校教育は世界的に見て遅れている

私たち日本人が当たり前だと思っている日本の学校教育。

これ、日本の常識、世界の非常識だ。

先生が教壇に立ち、永遠と説明を黒板に書く授業は、現在の世界の教育では非常識となっている。

デンマークでは、受け身だけの授業で頭に入る知識量は10%だと言われているそうだ。

非常に非効率。

コンピューターの様にインプットできる人材だけを選別しているようだ。

でっ、その選別された人は優秀か?

選別された能力は、日本のためになるのか?

答えはどちらも”No”だと思う。

自分のペースで自分の好きな事を学べる学校へ

ニュージーランドでは、画一的な授業はもう10年以上前から行われていない。

子供は国の宝。

そんな理念のもと、一人一人進捗の違う授業が行われている。

学年と言う概念がすでに陳腐化している。

日本の様に、同じ年に生まれた人は、同じ所まで学習が進むべきだって教育を行っていない。

ニュージーランドでは、4年生で数学は6年生レベルを学習中だけど、国語は2年生を勉強中なんて生徒が普通。

だいたい、学校入学も一斉に入学するわけで無く、誕生日がくると入学するというシステム。

だから、それぞれの子供の得意不得意に合わせて、進む科目はどんどん進めて、進まない科目はゆっくりと進める。

数学だけ飛び級して高校レベルを勉強しているが、小学生なんて子供はたくさんいる。

だって、同じ年に生まれた人が、同じようにしないといけないって考え方は実に非論理的だ。

同い年の子供でも、身長は違いがある。

特に成長期の小学生は同じ学年でも身長差が10センチ以上あるのは当たり前だ。

同じように脳の成長にも個人差がある。

個人差があってもほとんどの場合、1年か2年遅いだけで、ほぼ同じ能力に達する。

それなのに3年生はここまでできないといけないと決めつけられる。

決めつけられた子供たちの心には大きな劣等感が刻み込まれる。

その劣等感をバネにって古い時代の人は考えるかもしれない。

しかし、人間の心はそれほど単純ではない。

刻み込まれた劣等感は、やってもやっても感じ続けてやがて疲弊してバーンアウトの原因になる。

同一の内容、同一の進捗状況で再現することになんの意味もない。

自分のペースで自分の学びたい事を学んでいける学校を作りたい。

横田氏は言う「学校の先生がくそつまんなくて大っ嫌いで、それで数学が嫌いって子供を減らしたい。」

彼自身が学校の先生が嫌いで数学が嫌いになった現状を熱く語る。

画一的な知識を詰め込む学校から、自分で考え、自分で学ぶ力を育てる学校へ。

なんでもできる、自分は可能性に満ちた存在だと意識を持たせる教育が、何よりも本人たちの為になるに違いない。

不登校?発達障害?なにそれ、それって全部個性でしょ!

学校に行きたくないと訴える子供たちが多くいる。

彼らのほとんどが違和感を感じている子供たちだ。

どちらかと言うと知能が高い子供が多い。

同じ時間を同じように同一の処に集められて同じことをやらされる違和感。

勉強が嫌いなのではない、どちらかと言うと勉強が大好き。

でも、この自分がロボットになったかの様な、歯車になったかの様な違和感に耐えられない。

そんな子供たちはたくさんいる。

国の教育方針は、50年以上変わっておらず、9時から5時まで違和感を感じず会社で黙々と言われたことをこなす人間を選別している。

見事に選別されて、優秀な子供たちが弾かれてしまう。

まさに、奴隷を育てえる教育、社畜を育てる教育だ。

違和感を感じて、行きたくないと思う子供がいるのは当たり前だ。

それが個性だ。

現在発達障害と言われて、別の教室で授業を受けている子供たちはたくさんいる。

発達障害と言われている子供たちもいろんなタイプばいる。

それは人より劣っている事だろうか?

そんな事は決してない。

発達障害と呼べれる子供たちは、これが苦手な代わりにこっちには異常に秀でた才能を持つと言う子供たちがたくさんいる。

文字を扱う能力が乏しい人が居る。

漢字が書けない。

英単語のスペルの並びを覚えられない。

しかし、そんな人は多くの人が数学的才能を持っている。

大学生でも解けない難問をすらすら解く子供もいる。

できない事は問題じゃない。

これからの時代、できない事は無視しても良い。

劣ってることを生活ができる程度に引き上げる事は、テクノロジーがやってくれる。

漢字が書けない人も、スマホ一つあれば問題ない。

スマホに音声を入れれば漢字を表示してくれる。

漢字を覚えられない事は、現在の科学であれば、なんの障害にもなりえない。

それよりも、自分の個性で、自分の才能をどんどん伸ばすことに集中した方がいい。

できない事に落ち込むことは無い。

できる事に胸を張る方が何倍も価値がある事だ。

あなたは全然劣っていない。

この世の中に唯一無二の才能を持つ存在だと教えてあげる事。

これが大人の務めだと思う。

個性を伸ばせる学校の設置が急務だ。

50年以上変わっていない国の学校政策を変えさせるののは時間がかかる。

だったら自分たちで学校つくちゃえばいいんでは?

その手始めが大学なのだ。

お父さんは切望する

自分自身も特定の科目にだけ才能を発揮した人間。

だから、個性を伸ばす学校を切望している。

それは、私がライトワークと位置付けている

尖ったところで生きられる社会

アライアンス社会

と一致する試みだ。

だから、私ができる事は全面的に協力したいと思っている。

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